10月30日(水)【恥ずかしさ】
今日も今日とて、援助練習です。
毎日毎日子どものお迎えは20時前後。
大好きな先生に囲まれてひとりぼっちで残っていないだけ、恵まれている環境に感謝です。
そんな中、最近新しく始めたおむつ交換の援助。
おむつ。
うちの子どもは、まだまだおむつが外れるまで時間がかかりそうだからこそ、毎日しているおむつ交換なら私が最も得意とする援助なのではと挑んだのです。
しかし、残念なことに、その期待はおむつそのものを見た瞬間に打ち砕かれたのです。
その理由は、大きさ。
幼児用のおむつしか見ていなかったからこそ、大人用のおむつは大きいのだろうなあと、もちろん思っていました。
しかし、その予想をはるかに上回る大きさだったのです。少しふくよかな私がワイドパンツを履いた上からも履ける大きさなのではと思うほど。
期待が打ち砕かれたからこそ、いざ練習してみるものの、おむつの正中線は合わないわ、前面後面でズレが出てテープさえもうまくつけられないわ、てんやわんや。
さらに、何よりも感じるのは羞恥心。いくら練習とはいえ、自分が患者役になり、おむつをつけ外ししてもらっているその瞬間を中々凝視出来ずにいる私。
陰部洗浄や清拭練習においても、私の計画書では常に患者さんの羞恥心を少しでも軽減させられるように、どのように配慮するかを念頭において書いていますが、それもこの羞恥心が想像以上のものだと思っているから。
そういえば、実家の祖父も軽度認知者で、よく畳に失禁をしていました。しかし、決しておむつは履かないのです。促そうものなら、いつも怒鳴っていました。
典型的な昔ながらの人ということもありますが、今だから思うのは、恥ずかしさも当たり前にあったのだろうなと、当時は思うことができませんでした。
この気持ち、いつまでも忘れないように、練習に挑むのです。